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創業:西暦1184年、源平合戦の古戦場「有限会社藤戸饅頭本舗」

目指せ100年企業!老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

第三十回「有限会社藤戸饅頭本舗」創業:寿永3年(西暦1184年)

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源平合戦の古戦場として知られる史跡・藤戸の渡し

源平盛衰記によると、源平両軍が大戦した寿永3年(西暦1184年)、一面が海であった当地

源氏の将佐々木盛綱が、村人の案内で藤戸の浅瀬を馬で渡り、平家の虚を衝いて大勝した

しかし作戦の秘匿上、この村人を斬り捨てなければならなかった

村人の霊を永さめる供養が藤戸寺で行われ、近くの民家からまんじゅうが供えられた

これが「藤戸まんぢゅう」の起源だと伝えられています


創業当初は、お餅に近いような饅頭で、元禄時代頃まで藤戸寺の境内の茶店で売られていました

常に創意工夫を重ねた「藤戸まんぢゅう」は、全国を行脚し各地の饅頭を学んだ文化10年(西暦1813年)生まれの三代目当主金本亀三郎氏により

餅米で作った甘酒の搾り汁と小麦粉を練って発酵させた薄皮でこしあんを包み、蒸す現在の原型を確立している


この頃に、まんぢゅう小屋で販売されていた藤戸まんぢゅうは、万延元年(西暦1860年)に現所在地にて藤戸饅頭本舗として店を構えたと記されている

昭和45年(西暦1970年)には、六代目金本正己氏が、手造りから機械化へと移行するものの

代々受け継がれた伝統の味と製法は守り通し、生菓子に拘る姿勢は賞味期限を3日とさせている

物流が発展した現代だからこそ、生活に密着し地域に根差した生菓子

当地でなければ手に入れることが出来ない藤戸饅頭本舗の理念は

「継続は力なり」

そして、現七代目当主金本博行氏は断言する

「目先の売り上げ拡大のために増産や多角化を考えない」

これからも藤戸まんぢゅう一点を守り通し、重く深い一歩を着実に進んで頂きたい次第です


目指せ100年企業!第三十回「有限会社藤戸饅頭本舗」

http://www.fujito-manjyu.co.jp/

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創業:西暦1189年、弁慶の賞状「有限会社五郎兵衛飴総本舗」

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第二十九回「有限会社五郎兵衛飴総本舗」創業:文治4年(西暦1189年)

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遡ること11世紀半ば、陸奥の土豪安倍一族が朝廷に背き、10年以上反抗を続けた「前九年の役」

鎮圧に向かった源頼義、義家親子に従軍していた長谷川五郎兵衛実義

進軍中に負傷し、芦ノ牧温泉に近い小谷という地に身を隠した

その後、実義は土着し平安時代末期の治承年間(西暦1177~81年)に、子孫が黒川に出て飴屋を始めた

この時に長谷川五郎兵衛が創業したとされている

また、源義経公が平泉落ちの途中に立ち寄り、飴を所望した際の代金の借証文として伝えられている武蔵坊弁慶自筆の賞状がある

日付は文治4年(西暦1189年)4月2日となっており、既に五郎兵衛飴総本舗が飴屋として創業していたことが記されている

天正18年頃(西暦1590年頃)には、時の国主蒲生氏郷公より御用商の命を受けており御判板と古文書が今も残っている

その後、代々の国守諸公を経て、12枚の御判板となり会津藩主松平公の御用達を承り、戊辰戦争の慶長4年頃(西暦1868年)頃まで受け継がれました

戊辰戦争の時には白虎隊の携行し、明治天皇にも献上された五郎兵衛飴

もち米95%と麦芽5%を糖化して袋に入れて絞り、じっくり煮詰める

寒天と合わせて乾燥したものを手で切り、ひとつひとつ手作業で大切に包装する

800年に渡り同じ製法で作り続けられてきた純粋食品は滋養に富み、品質良好で舌ざわりも良い

三十八代目五郎兵衛となる、長谷川久雄さんの言葉

「飴作り、愚直にこだわる」

変わらぬ味と製法を守りつつ、琥珀の宝石を後世に伝え残して頂きたい次第です


目指せ100年企業!第二十九回「有限会社五郎兵衛飴総本舗」

http://www.aizu.com/org/aizu/goroube/

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創業:西暦1532-54年、北近江の地酒「冨田酒造有限会社」

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第二十八回「冨田酒造会社」創業:天文年間(西暦1532〜1554年)

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近江で栄えた近江源氏の佐々木京極家が衰退したことで、冨田八郎家が木之本宿に土着し帰農したのが天文2年(西暦1533年)

爾来造り酒屋を営む傍ら庄屋など豪商として宿場内で大きな影響力を持つ中で、冨田酒造は創業しました

牛馬市が開かれるほど規模の大きかった木之本宿、参勤交代をはじめ多くの人々が行き交う宿場町として栄えました

銘柄「七本鎗」の由来は、天正11年(西暦1583年)、信長の跡目をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が戦った「賎ケ岳の戦い」に遡る

勇猛果敢な働きによって秀吉を天下人へと導くきっかけとなった七人の若武者

加藤清正・福島正則・片桐且元・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟谷武則の総称「賤ヶ岳の七本槍」にちなんでいる

つまり七本槍は「勝利の酒」「縁起の良い酒」というめでたい側面も持ち合わせている

延享元年(西暦1744年)には、現在の建物が建てられており、その伝統ある歴史を刻んでいる


 

大正2年(西暦1913年)、まだ福田大観と名乗っていた若き北大路魯山人が、長浜の紙文具商河路豊吉にその才能を見込まれ長浜をはじめ湖北地域に逗留していた

十二代当主冨田八郎氏とも交流があり、店内に掲げられている「七本鎗」「酒猶兵」の作品を残している

明治期には、明治天皇が北陸ご巡幸をされる際に、岩倉具視が宿泊するなど戦国以来、名家としてこの地の発展に深く関わったことが伺える


「日本酒の原料は、米と水」

「米も水も人も、地元のものでなければ意味がない」と断言する現十五代当主冨田泰伸氏

一年を通して冷たく良質な軟水が奥伊吹山系の伏流水として豊富に湧く井戸水を仕込水

この仕込水に、地元の米が相まってこそ、それぞれの地に根付いてきた本当の地酒

守るべき部分は守り、変えるべき部分は挑む

冨田酒造有限会社の理念は、

「地域に根ざしたお酒を造りたい」

木之本宿の名家として、これからも世界へ近江を日本を発信して頂きたい


目指せ100年企業!第二十八回「冨田酒造有限会社」

http://www.7yari.co.jp/

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創業:西暦1550年、濁酒造り「小西酒造株式会社」

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第二十七回「小西酒造株式会社」創業:天文19年(西暦1550年)

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天文19年(西暦1550年)、伊丹で薬種商を営む小西新右衞門が始祖となり、濁酒造りを開始

慶長17年頃(西暦1612年頃)、初代当主、新右衛門宗吾が清酒業を本業とするようになり、酒樽を馬の背に乗せ、江戸への運送を開始

寛永12年頃(西暦1635年頃)、二代目当主、小西新右衛門宗宅が江戸へ酒樽を運ぶ途中、雪をいただいた富士の気高さに感動し、清酒を「白雪」と名づける

寛永元年(西暦1661年)、伊丹とその近隣11村を合わせた伊丹郷町が、天領でも藩領でもない、公家の近衛家領となる

元禄10年(西暦1697年)、伊丹郷町に「惣宿老制度」が設けられ、四代当主、小西新右衛門霜巴も帯刀を許され以降、小西家は代々その職につく

天明6年(西暦1786年)、伊丹郷町の惣宿老を独りでつとめるようになった七代当主、小西新右衛門朝巴が修武館を設ける

この時に、小西家の伝統的な行動規範となる「生活即武道」の精神が形成される


明治2年(西暦1869年)、修武館を私塾として一般公開するとともに、師範を招いてますます武道の発展に寄与

昭和8年(西暦1933年)、家業のうち、伊丹酒造部を独立させ小西酒造株式会社を設立

460年、貫いてきた酒造りへの思い

そして

200年、地域社会の秩序安定に尽する思い

このような、伝統と地域を守り続ける小西酒造株式会社の理念

「味づくり 幸せづくり ひとすじに」

永遠の本質は、新しさを求めて、常に変化する流行の中にこそある

つまり、不易流行の経営革新の実践

誰も歩いていない道を行く、小西酒造株式会社の伝統と革新の追及をいつまでも見届けたい次第です


目指せ100年企業!第二十七回「小西酒造株式会社」

http://konishi.co.jp/

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創業:西暦1548年、新潟の蔵元「吉乃川株式会社」

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第二十六回「吉乃川株式会社」創業:天文17年(西暦1548年)

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越後の虎と称された戦国大名の上杉謙信が春日山城に入城した天文17年(西暦1548年)

酒・味噌・醤油といった醸造業が集まっている旧三国街道の摂田屋に若松屋として創業したのが、吉乃川株式会社の始まりです

三国街道は五街道につぐ主要街道で、北国街道・会津通りとともに佐渡三道と呼ばれていました

江戸時代には江戸から佐渡金山への街道となり、金山奉公や参勤交代の殿様行列で往来で賑わう中

吟醸造りを基本に据え、伝統の技術を継承し、日本酒を醸造し続けた歴史

慶応元年(西暦1865年)に泉屋へ、

大正10年(西暦1921年)に中越醸造株式会社へ、

大正11年(西暦1922年)に中越酒造株式会社へ、

昭和48年(西暦1973年)に吉乃川株式会社へと商号を変更する中

米の少ない時代も、酒造りの基本は吟醸造りとし、代々続く技術と伝統を絶えることなく守って続けた吟醸蔵

「酒造りは一に水。二に米、三に技、四に風土」

一を支える仕込水は、敷地内の地下深くから湧き出る日本一の大河、信濃川の伏流水「天下甘露泉」

二を支える米は、米どころ新潟米を原料に使いつつ、一粒の米を四割も五割も、ときには六割以上も削ってしまう吟醸造り

三を支えるのは、つむぎ続けた伝統の技

四を支えるのは、新潟の厳しい寒さ

ただただ同じ事を繰り返すだけでなく、越後の良酒を醸すために積み重ねられた努力

「酒造りひとすじ~その先に美酒あり~」

吉乃川株式会社の理念は、まさに吟醸造りの真髄そのものではないだろうか


目指せ100年企業!第二十六回「吉乃川株式会社」

http://www.yosinogawa.co.jp/

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創業:西暦1532年、北国街道の桑酒「山路酒造有限会社」

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第二十五回「山路酒造有限会社」創業:天文元年(西暦1532年)

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「後園の桑を用いて酒をつくれ」との夢のお告げによって作られたと言われる桑酒

甘さと香ばしさが、皆に喜ばれる中で、山路酒造が創業したのが天文元年(西暦1532年)

その地は、北陸と近畿を結ぶ陸路となる北国街道に面し、文化や産物の行き交う一つの絹の道

湖北の町は、絹糸の産地で養蚕が盛んであった為、北国街道沿い一面には桑畑が広がる一方、

木之本地蔵院の門前町となる木之本宿は、人々の往来も繁く宿場町として長きに渡り栄えていました

桑酒は、桑の葉を使った蒸留酒で、もち米と麹と桑の葉を、独特の方法で焼酎に漬け込み、伝統みりん製法によって造られる

慶長年間に、この地で倒れた旅人が桑酒を呑み、木之本地蔵院に詣でたところ元気を取り戻したという伝えがあり、疲労回復、滋養強壮の効用が評判を呼んだと言われています

大正14年(西暦1925年)には、詩人、島崎藤村が自筆している注文書が残っており、広くその名を知らしめていたことが伺えます

また、清い水と極寒の土地で仕込んだ杜氏の意気込みが感じられる清酒、北国街道

愛されるお酒を造るため杜氏と共にきめ細やかに、大切に仕込む日本で五番目に古い酒蔵

年毎に少しずつ変わる酒の味を蔵元の醍醐味として、これからも多くの人を楽しませて頂きたい次第です


目指せ100年企業!第二十五回「山路酒造有限会社」

http://www.hokkokukaidou.com/

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創業:西暦1520年代、御所御用の「株式会社虎屋」

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第二十四回「株式会社虎屋」創業:大永年間~享禄2年(西暦1520年代)

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遡ること室町時代後期の西暦1520年代、場所は京都御所を東に望む一条通、菓子屋として創業したのが虎屋

はっきりした文献はないが、後陽成天皇の御在位中となる天奨14年(西暦1586年)に御所御用の命を受け

慶長5年(西暦1600年)、関ヶ原の戦いで敗れ、京都に隠れ潜んでいた犬山城主、石川備前守貞清をかくまったのが、黒川円仲氏であり中興の祖としている

寛永12年 (西暦1635年)、明正天皇が御所に行幸された時に、注文されたお菓子を書き留めた『院御所様行幸之御菓子通』には、羊羹や饅頭などと記され

元禄8年 (西暦1695年)、作成された 『御菓子之畫圖』は最古の菓子見本帳として現存しており、当時の商品を知る貴重な手掛かりとなっている

徳川家の統治による江戸時代となっても、5代将軍徳川綱吉や8代将軍徳川吉宗へ、京都からはるか遠い江戸へ菓子を献上する記録が残されている

そして迎えた、明治2年 (西暦1869年)、明治天皇の東京遷都とともに東京へ派遣し御所御用を受け続け、東京と京都での営業を今日まで続けている

代々黒川家が受け継ぐ虎屋、文化2年(西暦1805年)に9代当主黒川光利氏が策定した「掟書」が文献として残っている

内容は、天正年間(西暦1573~1592年)につくられていた店員が守るべき基本的な考え方を書き改めたもので15ヶ条からなっており、

「倹約を第一に心がけ、良い提案があれば各自文書にして提案すること」



「お客様が世間の噂話をしても、こちらからはしない。また、子供や女性のお使いであっても、丁寧に応対して冗談は言わぬこと」

などと、家訓のない黒川家にとっての同様の意をなす書となっているのではないだろうか

また、株式会社虎屋の経営理念は、

「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」

そして当代17代目当主黒川光博社長の言葉

「伝統は革新の連続である」

昭和55年(西暦1980年)、パリに出店を果たした株式会社虎屋

これからも、伝統継承と革新経営で、和菓子を世に送り出して頂きたい


目指せ100年企業!第二十四回「株式会社虎屋」

http://www.toraya-group.co.jp/

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創業500年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

目指せ100年企業!創業500年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所 第四十三回「株式会社千明仁泉亭」創業:文亀2年(西暦1502年) 第四十二回「株式会社兵衛旅館」創業:文正元年(西暦1466年) 第四十一回「株式会社東屋」創業:応長2年(西暦1312年) 第四十回「株式会社のとや」創業:応長元年(西暦1311年) ...Read More »

創業:西暦1505年頃、最古の銘柄「剣菱酒造株式会社」

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第二十三回「剣菱酒造株式会社」創業:永正2年頃(西暦1505年頃)

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稲寺屋伝により、永正2年(西暦1505年)には既に伊丹にて醸造が始まっていた「剣菱」

創業者の名は稲寺屋治郎三郎、

剣菱の酒標は、

天地陰陽夫婦和合の象にて生々たるその瑞気を感じ精気の回天を為すと、

後の醸主坂上桐蔭の時、井戸より不動明王の尊体顕れ瑞喜し、降魔の剣身と鍔形を酒標とすと、

双方ともに強い精力にちなんだ由来が特徴のひとつでもある

また、伊丹酒は下り酒として江戸へ運ばれる一方、

頼山陽が「兵は用ふべし、酒は飲むべし」と絶賛し
名産地池田伊丹が、近衛家の領地でしたので、「近衛家御用」となり
近衛関白が皇室へ献上し
藤田東湖が「傾来一斗剣菱春」と詠み、幕末の勤皇の志士たちが好んで飲む

など数々の逸話が伝わる中、

特にその名を広めたのが、忠臣蔵の大石内蔵助が率いる赤穂四十七士が討ち入り前に、江戸両国橋際蕎麦屋彌助宅の2階にて出陣の祝酒に剣菱で杯を交わした伝えとなります

長い歴史の中で、津国屋勘三郎から始まり数度に渡り蔵が変わり紆余曲折するも、昭和4年(西暦1929年)に5家目となる現在の白樫家による剣菱酒造株式会社となり伊丹より神戸市東灘区へと移っている

現在も5万石にものぼる生産は、ほとんど機械が皆無に等しい手造り

さらに、晩秋から仕込みを始め、春先から秋まで寝かせる「寒造り」と呼ばれる伝統的な山廃仕込み

先述の江戸後期の文人、頼山陽に『質実であれば変動せず、変動しなければ永続する』と言わる由縁となります

剣菱酒造株式会社の家訓は、

「宣伝や販売にお金を使うのではなく、さらに良いお酒を造ることに出た利益を使うこと」

愚直に酒造りに励めば、銘柄は保たれ、輝きは増す

今も昔も変わらない古今第一の味「剣菱」

歴史的背景や懇切丁寧な製造工程を知った上で、口にする剣菱の味はこれまでと違った趣を見せてくれるのではないだろうか?

神戸は灘の宮水がもたらす最古の銘柄「剣菱」

是非一度、ご賞味いただきたい


目指せ100年企業!第二十三回「剣菱酒造株式会社」

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創業:西暦1487年、廻船問屋の酒「株式会社飛良泉本舗」

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第二十二回「株式会社飛良泉本舗」創業:長享元年(西暦1487年)

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秋田県にかほ市にある平沢漁港からほど近い場所に、東北で最も古い歴史を持つ酒蔵がある

時は長享元年(西暦1487年)、八代将軍、足利義政が京都の東山に銀閣寺を建立した年

泉州地方にある廻船問屋を営む斉藤家の分家として、初代、斎藤市兵衛氏がこの地に移り住み稲作をする傍らで酒造りを営む「和泉屋」を創業した

宝暦年間から天保年間を生きた名僧、良寛和尚の友人で、仁賀保に暮らしていた増田九木氏という画家が、良寛和尚へ宛てた手紙にトンチのきいた名言を書き残している

「飛び切り良い、白い水」

平沢の「ひら」にかけ「飛」と「良」を並べ、「白」と「水」は上下に並べると泉州の「泉」

それまでの「金亀」の酒銘から、現在の酒銘「飛良泉」が誕生した由縁となります

その後、明治初期には鉄道の発展とともに廻船業が衰退し、徐々に酒造りに専念する流れとなり

22代目当主、斉藤市兵衛氏は、屋号を「斎藤酒造店」を名乗っていました

現在の本蔵は明治15年(西暦1882年)に建造されたもので、隆々とたる大欅は創業当時から蔵を守り続けている

昭和39年(西暦1964年)6月16日、新潟県の粟島南方沖を震源とするM7.5の「新潟地震」は、斎藤酒造店にとって創業来最大の危機をもたらした

当時の25代目当主、斉藤昭一郎氏、背水の陣で挑んだ再建であったが、伝統の山廃仕込一筋での勝負

再創業まで2年、経営回復まで15年を費やし、見事、暖簾を守り抜き、昭和43年(西暦1968年)に、株式会社飛良泉本舗に改組して今に至っている

伝統の造りは山廃仕込み、正式には山卸廃止仕込みといい、昔ながらの酒母製造方法である

そしてこの仕込みを支えるのが、仕込水

鳥海山系伏流水の硬水であり、水に力があり、思うような麹で山廃が造りやすいという杜氏

壊滅的な危機を乗り越えて、受け継がれた伝統の山卸廃止仕込みと仕込水

この拘りを貫き続ける株式会社飛良泉本舗の理念、それは

「派手な桜の花よりも、地味ながらふくらみのある梅の花のような酒をつくりたい」

伝統の技と心を受け継ぐ職人の手によって大切に大切に造り出される

「飛び切り良い、白い水」

 を搾り出して頂きたい、そう願わずにおれません


目指せ100年企業!第二十二回「株式会社飛良泉本舗」

http://www.hiraizumi.co.jp/

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