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創業:西暦1465年、御用蕎麦司「株式会社本家尾張屋」

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第二十一回「株式会社本家尾張屋」創業:寛正6年(西暦1465年)

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「やんごとなき御方より召されて、山鳥の尾張の国より都にまいりしは、室町時代花の御所の時なり」

と家譜に伝わる本家尾張屋が菓子司として創業したのが、応仁の乱の前々年となる寛正6年(西暦1465年)

13世紀には、僧侶を介して宋から伝わっていたとされる蕎麦を粉にして練る技術

寺で蕎麦を打つのが間に合わなかった際に、粉と水を練って伸ばして切る菓子司に依頼が入るようになりました

こうした中で、そば処としても、京の町衆に親しまれるようになった尾張屋は、元禄15年(西暦1702年)に初代傳左衛門を名乗り蕎麦司へと転業しました

江戸時代後半には御所に出入りを許された御用司をつとめ、明治時代には宮内庁御用達をつとめている

平成6年に15代目当主となった稲岡傳左衛門社長は、先代でもある父親から次の言葉を残されていました

「お客様の信用が第一。祇園で悪い噂が立てば尾張屋はつぶれる」

京都タカシマヤが改装をした際に、これまでの井戸水が水道水との混合になることで、撤退を検討していたが井戸水のみを汲み上げることで合意し存続となっています

京都の地下水は硬度が低い軟水でなければ、出汁の良い味が出せない拘りを貫く15代目当主

平成22年(西暦2010年)には、16代目当主となる稲岡亜里子さんが写真家としての活動と並行しつつ取締役に就任し家業に携わっている

このような、株式会社本家尾張屋に伝わるのは12代~13代当主が遺した「口上」

やんごとなき御方より召されて、山鳥の尾張の国より都にまいりしは、室町時代花の御所の時なりと家譜に伝え候

思えば五百有余年連麺と相続到し来り候儀、偏に厚顧の賜物、御礼は麺棒にも打のべ難く存じ候

されば方今の文化は当業にまで及び、兎角多産を旨として昔の香を失い候

おりから、茲許は只管原料の吟味手打、手挽の味本位、古風を守りて永年の御引立に可奉答存居候旧習に因みて祖先時代の蕎麦菓子を遺法に基きて謹製致し候次第に有之諺にも、

おそばを召せば、御宝が集ると申候えば、処がら車屋町、召せば廻りも殊更によく、福は御宅へ押寄せ候ぞかし、さて其御福分けは、根が寡産主義の旧習家、扱い物の細長く繰返し繰返し幾久しく、御用命の程乍此上伏して奉願上候

15代目当主、稲岡傳左衛門社長の言葉「古きを知りて、新しきを創る」を想いつつ、暖簾の向こうの蕎麦の香りに引き寄せられてみてはいかがでしょうか?

目指せ100年企業!第二十一回「株式会社本家尾張屋」

http://www.honke-owariya.co.jp/

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創業:西暦1428年、佐久鯉発祥の宿「株式会社佐久ホテル」

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第二十回「株式会社佐久ホテル」創業:正長元年(西暦1428年)

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一面が葦で覆われた湿地帯で大量の積石による地盤改良を必要とした岩村田

この地に、大井家に客将として招かれた、紀伊国造三十八代末裔で望月城の望月河内守滋野朝臣光尚

望月河内守が領主として宿泊や料理を岩村田で供したのが正長元年(西暦1428年)

これが、佐久ホテルの創業であり、初代当主の誕生となります

寛正4年(西暦1463年)の、後花園天皇御勅使御接待を始めとし、武田信玄などの名だたる武将や皇族などを長きに渡り御接待している

慶安元年(西暦1648年)10月19日夜に、小諸藩主青山因幡守宗俊公に篠澤佐五衛門良重が鯉料理を献上し、この史実が佐久鯉発祥の宿と呼ばれる所以となっている

江戸時代から明治初期には、代官や郡代に次ぐ役職で武士と同格となる、中山道岩村田宿の最後の割本として、大名などの心と体を癒し場を提供する職を全うし

明治18年(西暦1856年)、宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設「佐久ホテル」と命名し、16代当主、篠澤佐太郎により改組し現在の法人組織となっている

このような歴史を歩んだ佐久ホテルには、15代当主、篠澤豊太郎が書いた「子孫二申シ残ス事」が家訓として残されています

「子孫たる者、流行の事業に必ず手を出すべからず、自分一時百万円の財産を利根川の汽船会社に投資。前家の源兵衛と同様大破産したる事ありゆえに、馴れさる事業は無理して手を出すべからず。」

この家訓は、最後の割本でもあった15代当主が、蒸気船に投資し大変な損害を被ったことを後世に伝え遺した言葉です

「本業一筋」

佐久鯉発祥の宿として、重く深い伝統とおもてなしで、いつまでも迎えて頂きたいところです

目指せ100年企業!第二十回「株式会社佐久ホテル」

http://www.sakusaku.co.jp/

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創業:西暦1349年、饅頭の元祖「合資会社塩瀬総本家」

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第十九回「合資会社塩瀬総本家」創業:貞和5年(西暦1349年)

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宋の詩人、林和靖の末葉である林浄因が中国から奈良に移り住み、餡入りの饅頭を作り売り出したのが貞和5年(西暦1349年)

これが、日本で初めての饅頭、つまり饅頭の歴史の始まりであり、塩瀬の歴史の始まりとなります

当時、禅宗寺院は上流階級の社交場としても使われており、肉食が許されない僧侶にとって、餡を皮に包んで蒸し上げた甘味は大評判となりました

寛正元年(西暦1460年)、四代惟天盛祐が京都に移ったことにより、奈良の南家と京都の北家とに別れ

応仁元年(西暦1467年)、京都を焼け野原にした応仁の乱による戦火を逃れ三河国塩瀬村に移る

天正3年(西暦1575年)、長篠の合戦にて、七代目林宗二が徳川家康に本饅頭を献上

元和元年(西暦1615年)、大坂夏の陣、徳川家康が真田幸村に攻めたてられた際、わずかな手勢を引き連れ逃げ込んだのが、林浄因が居を構えていた林神社

文明九年(西暦1477年)、屋号を「塩瀬」と改め再び京都に戻り、宮中や将軍家に出入りを許され大変繁昌する

万治2年(西暦1659年)、塩瀬清兵衛が江戸に上り日本橋一丁目に店を出し、徳川家綱の御用を承り

明治元年(西暦1868年)、塩瀬総本店の仁木準三が宮内省の御用を拝命

昭和25年(西暦1950年)、現本店所在地に渡辺亀次郎が合資会社塩瀬総本家を設立

数々の戦乱を乗り越え、熟練の菓子職人による技と心を、居を移すも受け継ぐ塩瀬総本家

このような塩瀬総本家には、二つの家訓が存在している※

今日一日の事
一、今日一日三ツ君父師の御恩を忘れず不足を云ふまじき事
一、今日一日決して腹を立つまじき事
一、今日一日人の悪しきを云はず我善きを云ふまじき事
一、今日一日虚言を云はず無理なることをすまじき事
一、今日一日の存命をよろこんで家業大切につとむべき事
右は唯今日一日慎みに候。
翌日ありと油断をなさず、
忠孝を今日いち日と励みつとめよ。

そして、もう一つが、渡辺崋山の遺訓を教訓とし、家訓とした

崋山先生の商人に与へたる教訓
一、先づ朝は召仕より早く起きよ
一、十両の客より百匁の客を大切にせよ
一、買人が気に入らず返しに来たら売る時よりも丁寧にせよ
一、繁盛するに従つて益々倹約せよ
一、小遣は一文よりしるせ
一、開店の時を忘るな
一、同商売が近所にできたら懇意を厚くし互に励めよ
一、出店を開ひたら三ヶ年食料を送れ

いずれも代々受け継がれた家訓となっているが、まさに質素倹約・日々精進の心構えを記している

熟練の菓子職人が心を込めて作る饅頭「志ほせ」を、この家訓を読みながら食してみてはいかがだろうか?

目指せ100年企業!第十九回「合資会社塩瀬総本家」

http://www.shiose.co.jp/

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※雑誌「致知」2009/22012/10より

創業:西暦1337年、西へ八丁「株式会社まるや八丁味噌」

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第十八回「株式会社まるや八丁味噌」創業:延元2年(西暦1337年)

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時は、鎌倉幕府が滅亡し、室町幕府へと移り変わる南北朝の時代

岡崎城から西へ八丁の東海道街道筋で、酒造業を営んでいた大田弥治右衛門が醸造業として自家製の味噌を製造・販売したのが延元2年(西暦1337年)と伝えられている

その後、江戸時代からから始めた八丁味噌造りの伝統の技と味を 頑なに守りながら、現在もその歴史を刻み続けている

土の壁の蔵の中で、6尺の杉の桶を使い、人の手で積み上げる石積みの技

江戸時代から続く、昔ながらの伝統製法は、大豆と塩と水のみを使っている

二夏二冬じっくり寝かせ、大豆の旨みを逃がさない、硬い味噌、昔と変わらぬ伝統の味を受け継いでいる

長寿の秘訣として「まるや八丁味噌」では、下記3つの信念をあげている

1、質素にして倹約を第一とする

2、事業の拡大を望まず継続を優先する

3、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ

昔ながらの製法を守り、地道に本業に徹し、顧客の信頼を忠実に受け止める

たとえ非効率であっても、歴史と哲学に合致し、頑なに本物を作り続ける姿勢

受け継がれる伝統と追及する挑戦、八丁味噌を通して日本のものづくりを発展させて頂きたいところです

目指せ100年企業!第十八回「株式会社まるや八丁味噌」

http://www.8miso.co.jp/

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創業:西暦1319年、大和家庭薬「株式会社三光丸」

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第十七回「株式会社三光丸」創業:元応元年(西暦1319年)

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時は鎌倉時代後期、元応元年(西暦1319年)には越智家で製造・販売されていたのが「紫微垣丸」

紫微垣とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣(上垣:太微垣、中垣:紫微垣、下垣:天市垣)のひとつで、天帝の在所を示している

延元元年(西暦1336年)には、後醍醐天皇に献上された紫微垣丸に対して、太陽・月・星を意味する三光から「三光丸」の勅号を賜り改称

数百年前から受け継がれている米田家の「秘伝書」には、三光丸の配合成分が既に記されており、現在と変わりないものとなっており

その成分は、生薬となるセンブリ、ケイヒ、オウバク、カンゾウを原料としており、今なお効能・効果が支持されている事実は当時の完成度の高さを物語っている

天正17年(西暦1589年)、越智氏が滅亡した後、故地にとどまり、三光丸などの家伝薬を作り伝えたのが当代米田家である

その後、大和配置薬として伊勢、河内、畿内へと行商により販路を広め、慶応2年(西暦1866年)には最大勢力だった富山売薬業者との業務協定となる『仲間取締議定書連印帳』を結び

明治32年(西暦1899年)の三光丸同盟会が発足、大正2年(西暦1913年)の朝鮮半島への進出、などを経て時代の流れとともに成長しつづけた「株式会社三光丸」

長寿の秘訣を「よく効く薬であった」と仰る33代目米田徳七郎社長、しかしながら米田家には古くから下記の家訓が伝えられている

「薬は効く事が第一、金儲けする積もりではこの商いはできない。誠心誠意服用する側の立場になれば効能宣伝をしなくても薬の効果は信用される」(米田丈助)

よく効く薬であったからこそ「金儲けではなくお客様目線に徹すれば、満足と信用を得る」と悟られていた訳です

時代の変遷に柔軟に対応しつつも、本質は何も変わることがない、胃に優しい企業としてご活躍頂きたいと願わずにおれません

目指せ100年企業!第十七回「株式会社三光丸」

http://sankogan.co.jp/

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創業800年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

目指せ100年企業!創業800年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所 第三十回「有限会社藤戸饅頭本舗」創業:寿永3年(西暦1184年) 第二十九回「有限会社五郎兵衛飴総本舗」創業:文治4年(西暦1189年) 第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」創業:建久年間(西暦1190〜1198年) 第十五回「株式会社御所坊」創業:建久...Read More »

創業:西暦1190年代山中の湯治場「株式会社白鷺湯たわらや」

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第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」創業:建久年間(西暦1190〜1198年)

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古くは奈良時代まで遡る約1300年前、高僧、行基が薬師如来のお告げに従い掘り当てたのが山中温泉の始まりとされています

その後、戦乱の時代を経て温泉は廃れていたが、建久元年(西暦1190年)に加賀国江沼郡塚谷保を加増された長谷部信連公により再興されました

伝えでは、鷹狩りをされたときに、山かげの小さな流れで足の傷を癒している白鷲を発見した

不思議に思い近づくと、白鷺は娘へと姿を変え自らを薬師如来と名乗り、病を治すよい温泉の再興を促したとされ

長谷部信連公は家臣12人に湯つぼを守らせたのが始まりで、このときに「たわらや」が創業したとされています

昭和初期に、菊の湯の傍らから鶴仙渓の河畔へ移転し、現在の佇まいでお客様をもてなしている白鷺湯たわらや

創業八百余年、当代三十五代をむかえる白鷺湯たわらやのおもてなしは「変わらぬ心と湯」

長きに渡り、湯治場の湯守りとして受け継がれる伝統と格式を「心と湯」で体感したいものです


※写真は加州山中温泉風景図

目指せ100年企業!第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」

http://www.tawaraya.co.jp/

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創業:西暦1191年、有馬最古の湯「株式会社御所坊」

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第十五回「株式会社御所坊」創業:建久2年(西暦1191年)

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遡ること8百余年、鎌倉期の建久2年(西暦1191年)に創業したと伝えられる「御所坊」、当時は湯殿の脇に店を構え「湯口屋」と呼ばれていた

数多く残された文献によれば、

承元2年 (西暦1208年)、藤原定家の旅日記の「名月記」には、平頼盛の後室が「湯口屋」に宿泊

建武3年(西暦1337年)、九条家政所の「注進状」には、九条家が湯泉神社とともに「湯口屋」

至徳2年(西暦1385年)、足利三代将軍義満が湯口屋に逗留したことにより、その後「御所」と呼ばれるようになった

宝徳4年(西暦1452年)、相国寺鹿苑院院主の瑞渓周鳳の「温泉行記」に御所の由来が記されている

文明15年(西暦1483年)、本願寺中興の祖である蓮如上人が御所へ逗留し、この頃よりその名に「坊」がついた

文禄3年(西暦1594年)、豊臣秀吉が湯山御殿を建設の際に十三石を譲り受け、御所坊が現在地に移転

安土桃山時代から江戸時代にかけて、幾度となく大家による大きな打撃をうけるものの、太閤の湯治でその名を全国に広めたこともあり、湯治場として繁栄し続けた

慶応4年(西暦1868年)、明治維新を経て神戸港が開港され外国人が有馬へ訪れるようになる中で、初代兵庫県知事、伊藤博文も何度となく訪れている

昭和11年(西暦1936年)、谷崎純一郎が発表した小説「猫と庄造と二人のをんな」に実名で登場する「御所坊」

昭和24年(西暦1949年)、与謝野晶子は「晶子鑑賞」で「花吹雪 兵衛の坊も御所坊も 目におかずして空に渦巻く」と歌い

昭和29年(西暦1954年)、吉川英治は宿泊した際に「水音は二階に高き河鹿かな」と詩を残している

高度経済成長期を迎えた日本、建物の効率化が進む流れの中で、有馬温泉にも近代的な鉄骨鉄筋コンクリートの建物が建設される中で、御所坊は旅館情緒を残す木造建築を維持し現在の佇まいとなっている

平成7年(西暦1995年)、阪神大震災により客数が激減した際も、「日帰り」「湯どまり」など有馬温泉の概念には全く想定されていないサービスを提供し、周囲も追随したことで全体の復興に繋がっている

「有縁隋縁」「応物無方」の精神が信条の15代目主人金井四郎兵衛こと金井啓修さんはこう仰られます

「町の繁栄なくして旅館の成長はない」

まさしく、経営理念のひとつ「地域貢献」です

これからも相反を許容し、御所坊を、そして有馬を未来へ受け継いで頂きたいですね

目指せ100年企業!第十五回「株式会社御所坊」

http://www.goshobo.co.jp/

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創業:西暦1189年、鋳物師の技「伊藤鉄工株式会社」

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第十四回「伊藤鉄工株式会社」創業:文治5年(西暦1189年)

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文治5年(西暦1189年)4月、源頼朝の御家人に仕え、梵鐘等の神社仏閣向け鋳物師として創業したのが初代当主、伊藤助右衛門です。

東北はもとより、遠くは北海道まで鋳物を運んでいたといわれており、東北各地の神社仏閣を陰で支える存在であったといえます

また、文治5年(西暦1189年)は、山形県下で最古の企業であり、変遷する鉄の加工に柔軟に対応したことがうかがえる

このような伊藤家の家訓は、

「細く長く」

とされており、金剛組の「職家心得の事」に相通ずるものがある

京都府につぎ、老舗企業排出率の高い山形県を代表する老舗企業として、いつまでも「細く長く」その職人魂を受け継いで頂きたい

目指せ100年企業!第十四回「伊藤鉄工株式会社」

http://www.itotekko.co.jp/

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創業:西暦1184年、伝承千年の宿「株式会社ホテル佐勘」

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第十三回「株式会社ホテル佐勘」創業:寿永3年(西暦1184年)

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古くは、欽明天皇が「覚束な 雲の上まで見てしかな 鳥のみゆけは跡形もなし」の句を残した飛鳥時代6世紀にまで遡らなければならない

このときに秋保温泉は、「御湯」の称号を拝命し「名取(秋保)」「有馬」「道後」による「日本三御湯」と名を連ねている

また、「秋保」「鳴子」「飯坂」による「東北三名湯」にも名を連ねているなど、古くから広くその名を知られていた秋保温泉

名取の御湯の湯守と秋保湯元の山守となった祖代が、創業したのが平安期の寿永3年(西暦1184年)とされています

その後、江戸初期の仙台藩主 伊達公の湯浴御殿の湯守職を経て現在に至っている

安政2年(西暦1855年)には、源泉が一時的に止絶するなどの試練を乗り越えて、受け継がれる想い

「心の原点に触れるおもてなしの心」

伝承千年の宿 佐勘

これからも、古き良きものを未来永劫残し、変化する要望を敏感にとらえ実現し、伝統を格式を受け継いでいただきたいものです

目指せ100年企業!第十二回「株式会社ホテル佐勘」

http://www.sakan-net.co.jp/

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