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創業:西暦1160年、最古の茶商「株式会社通圓」

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第十二回「株式会社通圓」創業:末永暦元年(西暦1160年)

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源頼政の家臣、古川右内という武士が、晩年隠居をし「太敬庵通圓政久」と名乗り、宇治橋東詰に庵を結んだのが末永暦元年(西暦1160年)

初代通圓の誕生、そしてその長い歴史の始まりとなります。

治承4年(西暦1180年)に平氏討伐を決意した以仁王とともに挙兵を試みた源頼政は、準備が整わないうちに平氏方に計画が漏れ、

平等院に籠って抵抗するも多勢に無勢で、以仁王は逃したもの自身は辞世の句を残し自害した。

初代通圓も頼政とともに平氏と戦い、討ち死にを遂げており、平等院の庭に今現在も二人の墓は静かに眠っている。

その後子孫代々、「通圓」の姓を名乗り宇治橋の橋守として、道往く人々に橋の長久祈願と旅人の無病息災を願い、茶でもてなしている。

七代目通圓は、一休和尚と親交が深く、参禅して隠者となり、共にとんちを持って肝胆相照らす仲だったと伝えられており、店内には、一休和尚作「初代通圓」の木像が祀られている。

その後も、足利義政、豊臣秀吉などの武将にも仕え、新しくは伊藤博文や美空ひばりが訪れるなど、時代に名を馳せた偉人に茶を出し橋を守り続けている。

橋守りであり、お茶の文化と伝統守りでもある通圓の茶、歴史を振り返りながら嗜んでみてはいかがだろうか?

目指せ100年企業!第十二回「株式会社通圓」

http://www.tsuentea.com/

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創業:西暦1141年、最古の蔵元「須藤本家株式会社」

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第十一回「須藤本家株式会社」創業:永治元年(西暦1141年)

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永治元年(西暦1141年)には酒造りに携わっていたことが文献により確認されており

平安時代中期から850年以上の歴史をもつ、日本最古の蔵元、それが須藤家(現:須藤本家株式会社)だ

元々武家であったが、凶作で困窮した地元農民に代わり年貢米を納めた経緯した経緯から、自然環境に左右されにくく保存が可能な酒造りを始めたとされている

代々伝わる家訓「酒・米・土・水・木」の意味は

 

良い酒は良い米から、

良い米は良い土から、

良い土は良い水から、

良い水は良い木から、

良い木は蔵を守り酒を守る

 

となっており、まさに自然の連鎖を見事に反映している。

この中でも最重要視されているのが、門外不出一子相伝の伝承古法仕込である

現在でも枯れることなく豊かな伏流水が湧く敷地内の井戸

生い茂る欅に守られるこの井戸から汲みあげる良質の仕込水は、伝承古法仕込の要となっている

自然の力を享受し代々に渡り受け継がれた伝統の酒造り

日本だけでなく世界中で愉しまれている須藤本家株式会社の酒造り

55代目当主となる須藤悦康さんの挑戦から目が離せません

目指せ100年企業!第十一回「須藤本家株式会社」

http://www.sudohonke.co.jp/

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  • 2013年5月17日
  • By LRI-Magazine
  • 創業:西暦1134年、慈覚大師の湯「株式会社夏油温泉」 はコメントを受け付けていません
  • in 企業理念研究所

創業:西暦1134年、慈覚大師の湯「株式会社夏油温泉」

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第十回「株式会社夏油温泉」創業:長承3年(西暦1134年)

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雪深いみちのくの山奥に七つの湯が湧き出る秘湯、それが「夏油温泉」です。

古くは、平安時代前期の第55代天皇、文徳天皇が在位する斉衡3年(西暦856年)に遡り慈覚大師が発見したとする説

長承3年(西暦1134年)に、平家の落人の末裔、マタギの高橋四郎左ェ門が、傷ついた白猿を追ったところ、大湯でいやしている姿を見て発見したとする、白猿発見伝説

の二つが開湯説として残っている。

歌舞伎の「茨木」で知られる、源頼光の四天王の一人渡辺綱が鬼の片腕を切り落としたが、鬼は夏油の湯で片腕を元に戻した物語。鬼つまり外道と結びつる説

アイヌ語の「グット・オ」(崖のあるところ)から、冬は豪雪のため入山できないことから「夏湯」と言われ、湯が日差しで揺ら揺らと油のように見えたことで、「湯」が「油」になった説

の二つが名前の由来として残っている。

いずれの説にも、他の古湯と同じく湯治場として、その地に根付き今日まで長きに渡りその歴史を受け継いでいることに違いはない。

また大きな特徴として、いたる所から温泉が噴出しているだけでなく、源泉ごとに泉質が異なっている。

この元湯にも七つの源泉が湧出ているが、各々が異なった泉質となっていることもあり江戸時代の温泉番付では「東の大関」ともされている。

古代信仰の霊場を彷彿させる複数の湯治場

そしてこの湯治場を代々に渡り守り続け

自然とともに共存する元湯の癒しに包まれたい衝動に駆られずにはおれません。

1941年2月28日に指定された天然記念物(現:特別天然記念物)となる夏油温泉の石灰華

目指せ100年企業!第十回「株式会社夏油温泉」

http://mizuki.sakura.ne.jp/~geto/

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創業:西暦1024年、神仏具一筋「株式会社朱宮神仏具店」

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第九回「株式会社朱宮神仏具店」創業:万寿元年(西暦1024年)

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古くは飛鳥時代から神仏具に携わり、京都にて神仏具の製造を始めたのが万寿元年(西暦1024年)

京都での創業から長い時を経て、現在の山梨県甲府市に根を下ろしたのが明治13年(西暦1880年)

初代の技を受け継ぎ、その技に磨きをかけ、神仏具の最高峰を極める努力を重ねた歴史

古来より仏様を崇め、ご先祖様を大切に供養するという習慣を、日本人の美しい精神文化とし、次世代へと受け継ぐお手伝いをする家業に深謝する姿勢

その使命は「変わらない美しい日本人の心を、次の世代に伝承すること」

平成23年(西暦2011年)に建て替えられた甲府本店は、伝統と歴史を重んじつつも、時の流れに柔軟に対応している

いつまでも日本の美しい文化の全てを、伝承しなければと改めて感じずにはおれません


設計・撮影:株式会社三宅建築設計事務所

目指せ100年企業!第九回「株式会社朱宮神仏具店」
http://www.shumiya.co.jp/

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創業:西暦1000年、門前茶屋「株式会社一文字屋和輔」

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第八回「株式会社一文字屋和輔」創業:長保2年(西暦1000年)

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あぶり餅は、香隆寺の名物だった「おかちん(あぶり餅)」を今宮神社に供えたのが始まりで、京の町に疫病が流行った際に疫病を鎮める御霊会が行なわれました。

この御霊会に初代一文字屋和助が、このあぶり餅を今宮神社の神殿に供えたのが長保2年(西暦1000年)とされています。

以来、千余年に渡り、

餅を小さくちぎり
黄粉をつけ
竹串に一つずつ刺し
炭火にあぶり
白味噌のたれをかける

この素朴な味わいを、一子相伝でご先祖が言われるままに、大事に大事に受け継がれたのが今宮神社門前茶屋「あぶり餅 一和」です。

その一子相伝で受け継がれるのは、餅米の焚き方、竹串の作り方、あぶり方、白味噌のたれ等々だけではなく接待作法から始まり全てに渡る

代々、茶道や華道を指南する一和のお家柄が、茶店を守る女衆に振る舞いに対しても厳しい規律を設けていたことが垣間見えます。

やわらかいことで知られる京言葉、千余年の歴史を感じる

「おいでやす」
「おおきに」

に出迎えてもらいながら、あぶり餅に舌鼓を打ってみてはいかがだろう。

株式会社一文字屋和輔の「一子相伝の味と作法」を是非ご賞味ください。

目指せ100年企業!第八回「株式会社一文字屋和輔」
fb:http://on.fb.me/1410Kq0
たべろぐ:http://bit.ly/16yArLr

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  • 2013年5月14日
  • By LRI-Magazine
  • 創業:西暦970年、社寺仏閣建築の「中村社寺」 はコメントを受け付けていません
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創業:西暦970年、社寺仏閣建築の「中村社寺」

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第七回「株式会社中村社寺」創業:元禄元年(西暦970年)

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寺社造営のため京より招かれた当主により創業したのが元禄元年(西暦970年)

以後、代々社寺建築一筋に伝統の「技」と「心」を、修養し現在に至っているのが株式会社中村社寺です。

平成18年12月に再生手続開始申立を行っていましたが、社寺建築を中心とする建設会社として再生を目指し、

高松建設株式会社の子会社である株式会社金剛組が株式を取得し子会社としてて再建を図ることになりました。

時代が進んでも変えてはいけないものがある

頑なに拘っていい仕事をする

当り前のことを誇りに感じたい。

そして、何よりも長い歴史に磨かれた伝統や文化を後世に伝えなければならない

他の追随を許さない木造建築の「匠の技」

いつまでも輝きを伝承して頂きたいですね。

目指せ100年企業!第七回「株式会社中村社寺」
http://www.nakamurasyaji.co.jp/

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創業:西暦885年、京沸具の本流「株式会社田中伊雅仏具店」

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第六回「株式会社田中伊雅仏具店」創業:仁和年間(西暦885~889年)

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時は平安京遷都により数多く寺院が建立された仁和年間(西暦885~889年)、創業以来70代にわたり多くの寺院へ至高の荘厳品を納め続けている

それが、京都府内の製造業で最古の歴史を持つ「株式会社田中伊雅仏具店」となります。

多くの廉価な仏具が代等する中で、1000年以上の歴史を刻む京沸具の本流

そこには、代々と受け継がれる

歴史に学ぶ「踏襲」の精神
時代に沿う「創造」の精神
未来に遺す「研鑽」の精神

を感じずにはいれません。

また、使命を「次の時代へ受け継ぐ」ことと明確に認識されていることが、長寿企業たる所以といえるのではないでしょうか?

ここにもまた、「創業者の想い」が受け継がれ「経営者の想い」と一本筋となっているように思えてなりません。

※もともとは「伊賀」と記していたが、この表記は天皇家ゆかりの者のみに許されるとされ、仁和寺の門跡より授けられた「伊雅」に改めている

目指せ100年企業!第六回「株式会社田中伊雅仏具店」
http://www.ho-shi.co.jp/

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創業:西暦718年、粟津温泉の開祖「有限会社善吾楼」

目指せ100年企業!第五回「有限会社善吾楼」

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時は和銅3年(西暦710年)の平城京遷都に遡り、奈良の都を中心に仏教が興隆する中、多くの名僧が人跡未踏の高い山に登り、厳しい修行を積んで仙人の術を会得する山岳仏教も興っていた。

その名僧のひとりに越前国に生まれた泰澄大師が、養老元年(西暦717年)に五智の樵夫 笹切源五郎の道案内により、白山山頂で荒行を始められた。

それからおよそ1年後つまり養老2年(西暦718年)のある夜、白山大権現が泰澄大師の夢枕に立たれて、

『この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前は、ご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい』

と仰られたそうです。

すぐさま、神のお告げに従い粟津へ赴いた泰澄大師は、村人の協力によって霊泉を掘り当て、試しに病人を入浴させたところ、たちまち永患いが治りました。そこで、それまでずっと身近に仕えていた弟子の雅亮法師に命じて一軒の湯治宿を建てさせ、湯守りを任せられました。

この湯治宿を雅亮法師が湯守りされたことから、「法師」と呼ばれるようになり以後1300余年46代と伝承される温泉宿の歴史が始まったとされています。

「法師」では2代目から現46代目に至るまで、代々の当主は「法師善五郎」を襲名し、これに因んで旅館の正式名称は「善吾楼」としている。

長く深い歴史は、歴代善五郎・こころおぼえとして当時の出来事とともに遺されており、その時勢を知ることが出来る。

このように湯治宿を起源とし、白山信仰への禊の湯でもある「法師」のおもてなしは、「一期一会」

ここにもまた、受け継がれる伝統と格式(企業理念)、時の流れに即するもてなし(経営理念)が伺えます。

目指せ100年企業!第五回「有限会社善吾楼」
http://www.ho-shi.co.jp/

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創業:西暦717年、城崎温泉の開祖「株式会社古まん」

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第四回「株式会社古まん」創業:養老元年(西暦717年)

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城崎温泉の誕生は、和銅元年(西暦708年)、城崎の住人 日生下権守さんが、夢のお告げで四所神社を建てたことに始まります。

その後、養老元年(西暦717年)、道智上人さんがこの地を訪れ、四所明神の神託を受けて千日の修行の末、まんだら湯を湧出させた、と記しているのが現存する「温泉寺縁起帳」です。

この時、道智上人さんが滞在した屋敷は「まんだら屋敷」つまり「古まん」の前進であり、その後代々に受け継がれる「曼陀羅記」と「日生下氏家宝旧記」その名を記されることになっています。

およそ1300年前、この出来事が城崎温泉の誕生物語だったこととなります。

その後、まんだら屋敷から曼荼羅屋、古曼荼羅屋へ、そして古まんと名を変え今現在に至っています。

そして先述の「曼荼羅記」の著者となる室町時代の日生下清彦さんを初代とし、現館主、日生下民夫さんを第二十二代としている。

明治時代まで「日生下氏」は一子相伝とされており、謎に包まれる部分も多い

そんな中、敢えて理念・家訓とするならば、脈々と受け継がれた心尽くしとして

「癒」

になるのかもしれない。

やはり、自ら現地を訪れ肌で

その想い

を感じなければならないようだ。

目指せ100年企業!第四回「株式会社古まん」
http://www.sennennoyu-koman.com/

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創業:西暦705年、世界で最も歴史のある旅館「甲州西山温泉慶雲館」

目指せ100年企業!第三回「有限会社西山温泉慶雲館」

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その昔、この地方に流浪した藤原真人が狩猟の途中、湯川のほとりにさしかかった時、岩の間より盛んに噴き出している熱湯を発見しました。

試しに入ってみると、神気爽快、四肢軽快、となり大変驚き、喜びました。

真人は険しい山に道を開き、湯つぼを造るなどし、諸村に「近隣に隠れた名湯あり」とまで伝えられるようになりました。

時は、文武天皇の慶雲2年(西暦705年)3月、これが、西山温泉の起源と伝えられています。

そして、天平宝字2年(西暦758年)には、孝謙天皇が京の都よりはるばる慶雲館にご入湯され、二十日余りですっかりご全快されたとも云われています。

その後も、武田信玄公や徳川家康公など、数々の都人や、数多くの名将が訪れたとも伝えられます。

歴史を重ね、時の洗礼を受けつつ、訪れる人を迎える「もてなしの心」「日本の和の心」

それは、現在に「慶雲館のおもてなし」として受け継がれています。

・「お帰りなさい」の気持ちを込めて、笑顔のお出迎え。

・時を忘れてのんびりと・・・、ゆっくりとしたご接待。

・板前の想いがお客様にお伝えできるよう、冷たい物は冷たく、温かいものは温かく、一品一品真心を込めてご提供します。

・山里の朝食を、爽やかなお目覚めと共に。

・「また来るよ」と、お客様に頂くお言葉が、私達の一番の喜びです。

深山幽谷にありつつも、訪れる人が尽きることのない西山の湯で、無念無想も沈思黙考もよしと感じずにはおれません。

目指せ100年企業!第三回「有限会社西山温泉慶雲館」

http://www.keiunkan.co.jp/

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