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創業:西暦587年の「池坊(現:財団法人池坊華道会)」

目指せ100年企業!老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

第二回「財団法人池坊華道会」創業:用明天皇2年(西暦587年)

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目指せ100年企業!第二回「池坊」

池坊のはじまり、それは、四天王寺建立の用材を探し求め、聖徳太子は山城国愛宕郡を訪れた西暦587年に遡ります。

とある夜、「この地にとどまり人々の救済に当たりたい」と仏のお告げの夢を見られ、六角の御堂を建てられたのが紫雲山頂法寺の六角堂になります。

そして、この六角堂の北面の池のほとりに、小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。

朝夕宝前に花を供えてきた池坊が、いけばなの名手として知られるようになったのが「いけばな池坊」のはじまりとなります。

そんな池坊の基本理念

「和と美」

 

は、六角堂の開祖である聖徳太子の十七条憲法第一条「和をなによりも大切なものとし」に基づくもので、まさに創業以来受け継がれた理念といえます。

そして、1462年2月25日付の東福寺禅僧、雲泉太極の碧山日録の記録により

「春公招専慶挿花草於金瓶者 数十枝 落中好事者来競観之」※1

が、池坊中興の祖、池坊専慶が花をいけた歴史上の最古の記録となり、その後の家伝書「専応口伝」や「専栄伝書」により、いけばなが成立したとされています。

時代の変化に対応し、継承された

「心と技」

 

この積み重ねられた歴史を学ぶことで、「いけばな」「華道」が全く姿に写るのではないでしょうか?

目指せ100年企業!第二回「池坊」

http://www.ikenobo.jp/

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※1:春公の招きで、池坊専慶が金瓶に数十枝の花を挿したところ、洛中の好事者が競って見学した

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創業:飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)で世界最古の企業「株式会社金剛組」

目指せ100年企業!老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

第一回目「株式会社金剛組」創業:敏達天皇7年(西暦578年)


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聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から日本に招かれた三人の工匠のうちのひとり金剛重光氏が初代金剛組を立ち上げたのは遥か飛鳥時代に遡る西暦578年。

この時593年に創建されたのが、日本最初の官寺となる四天王寺(大阪市天王寺区)で、その後もこの地に留まり護りつづけました。

創業から今年で1435年を迎える世界最古の企業、金剛組と四天王寺の歴史を振り返りながら家訓(企業理念)を学んでみようと思います。

1576年、石山寺の戦いにて焼失

1597年、秀吉により多重塔が再建

1614年、大阪冬の陣にて焼失後に江戸幕府により再建

1868年、神仏分離令により試練の時代へ突入、宮大工として他の寺社へ進出

1932年、歴代初の女棟梁として第38代金剛よしえ氏が誕生

1934年、室戸台風で四天王寺五重塔が倒壊し再建の命

1955年、株式会社金剛組が誕生し第39代金剛利隆氏が経営の近代化

2006年、高松建設株式会社の出資を受け、新たに金剛組として再出発

2008年、株式会社高松コンストラクショングループの一員となり現在に至る

1435年の歴史を振り返るにはあまりにも省略していますが、ご覧になられた感想はいかがでしょうか?

もちろん、現代でいう「事業計画書」なるものは存在いたしませんし、まさか初代の金剛重光氏も第39代金剛利隆氏へ受け継がれるとは想定していなかったと思われます。

さらに、現存する企業理念に該当するものは、第32代金剛八郎喜定氏が遺した「遺言書」になります。

「職家心得の事」(抜粋)で以下のように記しています。

・お寺お宮の仕事を一生懸命やれ

・大酒はつつしめ

・身分にすぎたことをするな

・人のためになることをせよ

とてもわかりやすく簡単だと思いませんか?

でもこのいわゆる4つの家訓、とても奥が深いんです。

ずっと受け継がれなければならない、となると抽象的でなければいけないが、抽象的過ぎてもいけない

わかりやすく表現すると

・本業一筋

・腹八分目

・身分相応

・社会貢献

こんな感じでしょうか?

だんだんと企業理念みたいになってきたと思いませんか?

ここに代々受け継がれる歴史の本質があるのではないかと感じます。

そして何より、一流の宮大工であり、一流の経営者でもあったと裏付けされているように思えてなりません。

目指せ100年企業!第一回目「株式会社金剛組」

http://www.kongogumi.co.jp/

いかがでしたでしょうか?ご意見・ご感想など頂ければとてもとても励みになりますので、是非お願いいたします!

金剛家「職家心得之事」

一.儒仏神三教の考えをよく考えよ

一.主人の好みに従え

一.修行に励め

一.出すぎたことをするな

一.大酒は慎め

一.身分に過ぎたことはするな

一.人を敬い、言葉に気をつけよ

一.憐れみの心をかけろ

一.争ってはならない

一.人を軽んじて威張ってはならない

一.誰にでも丁寧に接しなさい

一.身分の差別をせず丁寧に対応せよ

一.私心なく正直に対応せよ

一.入札は廉価で正直な見積書を提出せよ

一.家名を大切に相続し、仏神に祈る信心を持て

一.先祖の命日は怠るな

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企業理念研究所について

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生活総合研究所が考える、社長が孤独を感じる3つの瞬間

「経営判断」「資金繰り」「人財育成」です

このうち「人財育成」に多大な影響をもたらすのが「企業理念」となります

改めて「企業理念」と言葉にしてみると、とても堅苦しかったり、とても難しそうだったり、かなり大企業みたいだったりしますが、

企業理念とは、全ての事業家が必ずしも制定しています!

ただ、制定しているといっても成熟度合については、まちまちなので敷居が高く感じたり、当り前と感じたりするのです。

では、何故そうなってしまうのか?

「企業理念」とは?

色々な先人偉人賢人が、この「企業理念」を定義していますが、ここでは、

”創業者が策定した普遍的かつ根本的な考え方”

とします。

つまり、起業した段階で何らかの目的を持っている訳ですから必ずその時点で「起業理念」が存在したことになります。

では、何故、とても堅苦しかったり、とても難しそうだったり、かなり大企業みたいだったり、と感じてしまうのでしょうか?

その理由は、単純に意識や視点の違いがあるだけなんです。

起業を考えたその時から、当然ですが「誰に」「何を」「いくらで」売ったり買ったりすることを決めていたはずです。

最もシンプルな事業計画とは、

この人はこれをこれぐらいで買うだろう、売るだろう

あの人はあれをあれぐらいで買うだろう、売るだろう

その人はそれをそれぐらいで買うだろう、売るだろう

こんな感じだと思います。

この動機、つまり理由が、企業理念となるのです!

・儲けたい
・喜ばしたい
・社会貢献したい

自己中心的な理由から人類みな兄弟的な理由まで様々ですが、この理由こそ企業理念の源です

要するに、定義付けされているかいないか?だけのことです。

そこで、簡単に段階分類してみます
1.なんとなくこんな感じ
2.頭の中にはあるんだけど見える化してない
3.しっかり見える化(明文化)してるが掲示してない
4.見える化してるし朝礼で読ませてる
5.見える化もし社員全員で共有化してる

つまり1~3の方にとっては、「企業理念」が、とても堅苦しかったり、とても難しそうだったり、かなり大企業みたいだったり、と感じてしまう可能性が高くなります。

逆に4~5の方にとっては、常日頃から目にし、耳にし、口にしているので、慣れ親しんだものとなっているはずです。

ただ、今回は敢えてその境界線を1~4と5にしたいと考えています。

1950年代から急速に導入された「社是・社訓」が何故、必要だったのか?

そして、事後検証となりますが長寿企業が如何にして、変化する時代の流れに乗って歩んできたのか?

「企業理念」「経営理念」「社是」「社訓」「使命」「展望」といった面から、一緒に学んで頂ければ幸いと感じます。

是非お付き合い下さいますようお願い申し上げます。

安心創造企業 生活総合研究所株式会社
代表取締役 宮平浩示

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