創業:西暦1428年、佐久鯉発祥の宿「株式会社佐久ホテル」

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第二十回「株式会社佐久ホテル」創業:正長元年(西暦1428年)

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一面が葦で覆われた湿地帯で大量の積石による地盤改良を必要とした岩村田

この地に、大井家に客将として招かれた、紀伊国造三十八代末裔で望月城の望月河内守滋野朝臣光尚

望月河内守が領主として宿泊や料理を岩村田で供したのが正長元年(西暦1428年)

これが、佐久ホテルの創業であり、初代当主の誕生となります

寛正4年(西暦1463年)の、後花園天皇御勅使御接待を始めとし、武田信玄などの名だたる武将や皇族などを長きに渡り御接待している

慶安元年(西暦1648年)10月19日夜に、小諸藩主青山因幡守宗俊公に篠澤佐五衛門良重が鯉料理を献上し、この史実が佐久鯉発祥の宿と呼ばれる所以となっている

江戸時代から明治初期には、代官や郡代に次ぐ役職で武士と同格となる、中山道岩村田宿の最後の割本として、大名などの心と体を癒し場を提供する職を全うし

明治18年(西暦1856年)、宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設「佐久ホテル」と命名し、16代当主、篠澤佐太郎により改組し現在の法人組織となっている

このような歴史を歩んだ佐久ホテルには、15代当主、篠澤豊太郎が書いた「子孫二申シ残ス事」が家訓として残されています

「子孫たる者、流行の事業に必ず手を出すべからず、自分一時百万円の財産を利根川の汽船会社に投資。前家の源兵衛と同様大破産したる事ありゆえに、馴れさる事業は無理して手を出すべからず。」

この家訓は、最後の割本でもあった15代当主が、蒸気船に投資し大変な損害を被ったことを後世に伝え遺した言葉です

「本業一筋」

佐久鯉発祥の宿として、重く深い伝統とおもてなしで、いつまでも迎えて頂きたいところです

目指せ100年企業!第二十回「株式会社佐久ホテル」

http://www.sakusaku.co.jp/

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