創業:西暦1502年、徳冨蘆花の定宿「株式会社千明仁泉亭」

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第四十三回「株式会社千明仁泉亭」創業:文亀2年(西暦1502年)

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伊香保温泉の開湯は、1900年前とも1300年前ともいわれ、日本に現存する和歌集として最古の「万葉集」にもその名が登場している

この伊香保温泉に、創業450年以上を数える3件の宿の中で最も古い歴史を刻むのが、文亀2年(西暦1502年)に初代千明三右衛門が創業した千明仁泉亭である

仁泉亭の名の由来は、この地を訪れた連歌師の宗祇が痛風の治療をし、「仁の湯だ」と称したことによるとされている

存在せず湯元の地にて民家数戸といった湯小屋時代の湯治場であったが、天正3年(西暦1575年)の長篠の戦いで負傷した武田兵の療養にと、

翌年に武田勝頼が真田昌幸に命じたのが温泉街の始まりで、急傾斜地に作られた温泉街の象徴となる365段の石段の礎が整備された

この石段の一番奥に、伊香保神社がありさらにその奥へ行くと、黄金の湯の源泉があり石段の下に導管を配し小間口から分湯している

明治の文豪、徳冨蘆花が千明仁泉亭で執筆した小説「不如帰」は、伊香保温泉を舞台に日清戦争によって愛する夫と、結核により引き裂かれた浪子の悲恋が描かれたもの

「上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。」

「不如帰」の冒頭の一節にあるこの「千明の三階」は「千明仁泉亭」の部屋のことを示している

また、千明仁泉亭を定宿としていた徳冨蘆花は、その生涯をこの宿で閉じ

歌人、与謝野晶子もまたこの宿を訪れ

「伊香保山 雨に千明の傘さして 行けども時の帰るものかな」

と詠み、文豪、谷崎潤一郎や農政学者、新渡戸稲造もこの宿を訪れている

戦後は、歓楽街温泉として栄え団体客で賑わっていた伊香保温泉だったが、受入れしない方針を変更し受入れ

20代当主の遺訓

「この建物は大事に残してほしい」

の言葉を守る22代女将

しかしながら再び、団体客から個人客への移行が始まっている時流へ求められる対応

「親の仕事を単に引き継ぐだけでは千明の暖簾を守れない」

と主張する一人娘となる23代若女将

2人の相反する主張は、平成6年(西暦2004年)に完成したカフェバー「楽水楽山」となって融合している

伊香保温泉随一の湯量を持ち、宮内庁御用達の老舗にありながら、昔ながらの木造で親しみやすい宿

「お金で買えない歴史を守っていきたい」

変えることの出来ない歴史に学び、変えることの出来る未来を創造し続けて頂きたい次第です

目指せ100年企業!第四十三回「株式会社千明仁泉亭」

http://www.jinsentei.com/

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