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創業:西暦1337年、西へ八丁「株式会社まるや八丁味噌」

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第十八回「株式会社まるや八丁味噌」創業:延元2年(西暦1337年)

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時は、鎌倉幕府が滅亡し、室町幕府へと移り変わる南北朝の時代

岡崎城から西へ八丁の東海道街道筋で、酒造業を営んでいた大田弥治右衛門が醸造業として自家製の味噌を製造・販売したのが延元2年(西暦1337年)と伝えられている

その後、江戸時代からから始めた八丁味噌造りの伝統の技と味を 頑なに守りながら、現在もその歴史を刻み続けている

土の壁の蔵の中で、6尺の杉の桶を使い、人の手で積み上げる石積みの技

江戸時代から続く、昔ながらの伝統製法は、大豆と塩と水のみを使っている

二夏二冬じっくり寝かせ、大豆の旨みを逃がさない、硬い味噌、昔と変わらぬ伝統の味を受け継いでいる

長寿の秘訣として「まるや八丁味噌」では、下記3つの信念をあげている

1、質素にして倹約を第一とする

2、事業の拡大を望まず継続を優先する

3、顧客、従業員との縁と出会いを尊ぶ

昔ながらの製法を守り、地道に本業に徹し、顧客の信頼を忠実に受け止める

たとえ非効率であっても、歴史と哲学に合致し、頑なに本物を作り続ける姿勢

受け継がれる伝統と追及する挑戦、八丁味噌を通して日本のものづくりを発展させて頂きたいところです

目指せ100年企業!第十八回「株式会社まるや八丁味噌」

http://www.8miso.co.jp/

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創業:西暦1319年、大和家庭薬「株式会社三光丸」

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第十七回「株式会社三光丸」創業:元応元年(西暦1319年)

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時は鎌倉時代後期、元応元年(西暦1319年)には越智家で製造・販売されていたのが「紫微垣丸」

紫微垣とは、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣(上垣:太微垣、中垣:紫微垣、下垣:天市垣)のひとつで、天帝の在所を示している

延元元年(西暦1336年)には、後醍醐天皇に献上された紫微垣丸に対して、太陽・月・星を意味する三光から「三光丸」の勅号を賜り改称

数百年前から受け継がれている米田家の「秘伝書」には、三光丸の配合成分が既に記されており、現在と変わりないものとなっており

その成分は、生薬となるセンブリ、ケイヒ、オウバク、カンゾウを原料としており、今なお効能・効果が支持されている事実は当時の完成度の高さを物語っている

天正17年(西暦1589年)、越智氏が滅亡した後、故地にとどまり、三光丸などの家伝薬を作り伝えたのが当代米田家である

その後、大和配置薬として伊勢、河内、畿内へと行商により販路を広め、慶応2年(西暦1866年)には最大勢力だった富山売薬業者との業務協定となる『仲間取締議定書連印帳』を結び

明治32年(西暦1899年)の三光丸同盟会が発足、大正2年(西暦1913年)の朝鮮半島への進出、などを経て時代の流れとともに成長しつづけた「株式会社三光丸」

長寿の秘訣を「よく効く薬であった」と仰る33代目米田徳七郎社長、しかしながら米田家には古くから下記の家訓が伝えられている

「薬は効く事が第一、金儲けする積もりではこの商いはできない。誠心誠意服用する側の立場になれば効能宣伝をしなくても薬の効果は信用される」(米田丈助)

よく効く薬であったからこそ「金儲けではなくお客様目線に徹すれば、満足と信用を得る」と悟られていた訳です

時代の変遷に柔軟に対応しつつも、本質は何も変わることがない、胃に優しい企業としてご活躍頂きたいと願わずにおれません

目指せ100年企業!第十七回「株式会社三光丸」

http://sankogan.co.jp/

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創業800年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所

目指せ100年企業!創業800年以上の企業一覧|老舗企業・長寿企業の秘訣を企業理念から学ぶ、企業理念研究所 第三十回「有限会社藤戸饅頭本舗」創業:寿永3年(西暦1184年) 第二十九回「有限会社五郎兵衛飴総本舗」創業:文治4年(西暦1189年) 第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」創業:建久年間(西暦1190〜1198年) 第十五回「株式会社御所坊」創業:建久...Read More »

創業:西暦1190年代山中の湯治場「株式会社白鷺湯たわらや」

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第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」創業:建久年間(西暦1190〜1198年)

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古くは奈良時代まで遡る約1300年前、高僧、行基が薬師如来のお告げに従い掘り当てたのが山中温泉の始まりとされています

その後、戦乱の時代を経て温泉は廃れていたが、建久元年(西暦1190年)に加賀国江沼郡塚谷保を加増された長谷部信連公により再興されました

伝えでは、鷹狩りをされたときに、山かげの小さな流れで足の傷を癒している白鷲を発見した

不思議に思い近づくと、白鷺は娘へと姿を変え自らを薬師如来と名乗り、病を治すよい温泉の再興を促したとされ

長谷部信連公は家臣12人に湯つぼを守らせたのが始まりで、このときに「たわらや」が創業したとされています

昭和初期に、菊の湯の傍らから鶴仙渓の河畔へ移転し、現在の佇まいでお客様をもてなしている白鷺湯たわらや

創業八百余年、当代三十五代をむかえる白鷺湯たわらやのおもてなしは「変わらぬ心と湯」

長きに渡り、湯治場の湯守りとして受け継がれる伝統と格式を「心と湯」で体感したいものです


※写真は加州山中温泉風景図

目指せ100年企業!第十六回「株式会社白鷺湯たわらや」

http://www.tawaraya.co.jp/

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創業:西暦1191年、有馬最古の湯「株式会社御所坊」

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第十五回「株式会社御所坊」創業:建久2年(西暦1191年)

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遡ること8百余年、鎌倉期の建久2年(西暦1191年)に創業したと伝えられる「御所坊」、当時は湯殿の脇に店を構え「湯口屋」と呼ばれていた

数多く残された文献によれば、

承元2年 (西暦1208年)、藤原定家の旅日記の「名月記」には、平頼盛の後室が「湯口屋」に宿泊

建武3年(西暦1337年)、九条家政所の「注進状」には、九条家が湯泉神社とともに「湯口屋」

至徳2年(西暦1385年)、足利三代将軍義満が湯口屋に逗留したことにより、その後「御所」と呼ばれるようになった

宝徳4年(西暦1452年)、相国寺鹿苑院院主の瑞渓周鳳の「温泉行記」に御所の由来が記されている

文明15年(西暦1483年)、本願寺中興の祖である蓮如上人が御所へ逗留し、この頃よりその名に「坊」がついた

文禄3年(西暦1594年)、豊臣秀吉が湯山御殿を建設の際に十三石を譲り受け、御所坊が現在地に移転

安土桃山時代から江戸時代にかけて、幾度となく大家による大きな打撃をうけるものの、太閤の湯治でその名を全国に広めたこともあり、湯治場として繁栄し続けた

慶応4年(西暦1868年)、明治維新を経て神戸港が開港され外国人が有馬へ訪れるようになる中で、初代兵庫県知事、伊藤博文も何度となく訪れている

昭和11年(西暦1936年)、谷崎純一郎が発表した小説「猫と庄造と二人のをんな」に実名で登場する「御所坊」

昭和24年(西暦1949年)、与謝野晶子は「晶子鑑賞」で「花吹雪 兵衛の坊も御所坊も 目におかずして空に渦巻く」と歌い

昭和29年(西暦1954年)、吉川英治は宿泊した際に「水音は二階に高き河鹿かな」と詩を残している

高度経済成長期を迎えた日本、建物の効率化が進む流れの中で、有馬温泉にも近代的な鉄骨鉄筋コンクリートの建物が建設される中で、御所坊は旅館情緒を残す木造建築を維持し現在の佇まいとなっている

平成7年(西暦1995年)、阪神大震災により客数が激減した際も、「日帰り」「湯どまり」など有馬温泉の概念には全く想定されていないサービスを提供し、周囲も追随したことで全体の復興に繋がっている

「有縁隋縁」「応物無方」の精神が信条の15代目主人金井四郎兵衛こと金井啓修さんはこう仰られます

「町の繁栄なくして旅館の成長はない」

まさしく、経営理念のひとつ「地域貢献」です

これからも相反を許容し、御所坊を、そして有馬を未来へ受け継いで頂きたいですね

目指せ100年企業!第十五回「株式会社御所坊」

http://www.goshobo.co.jp/

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創業:西暦1189年、鋳物師の技「伊藤鉄工株式会社」

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第十四回「伊藤鉄工株式会社」創業:文治5年(西暦1189年)

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文治5年(西暦1189年)4月、源頼朝の御家人に仕え、梵鐘等の神社仏閣向け鋳物師として創業したのが初代当主、伊藤助右衛門です。

東北はもとより、遠くは北海道まで鋳物を運んでいたといわれており、東北各地の神社仏閣を陰で支える存在であったといえます

また、文治5年(西暦1189年)は、山形県下で最古の企業であり、変遷する鉄の加工に柔軟に対応したことがうかがえる

このような伊藤家の家訓は、

「細く長く」

とされており、金剛組の「職家心得の事」に相通ずるものがある

京都府につぎ、老舗企業排出率の高い山形県を代表する老舗企業として、いつまでも「細く長く」その職人魂を受け継いで頂きたい

目指せ100年企業!第十四回「伊藤鉄工株式会社」

http://www.itotekko.co.jp/

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創業:西暦1184年、伝承千年の宿「株式会社ホテル佐勘」

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第十三回「株式会社ホテル佐勘」創業:寿永3年(西暦1184年)

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古くは、欽明天皇が「覚束な 雲の上まで見てしかな 鳥のみゆけは跡形もなし」の句を残した飛鳥時代6世紀にまで遡らなければならない

このときに秋保温泉は、「御湯」の称号を拝命し「名取(秋保)」「有馬」「道後」による「日本三御湯」と名を連ねている

また、「秋保」「鳴子」「飯坂」による「東北三名湯」にも名を連ねているなど、古くから広くその名を知られていた秋保温泉

名取の御湯の湯守と秋保湯元の山守となった祖代が、創業したのが平安期の寿永3年(西暦1184年)とされています

その後、江戸初期の仙台藩主 伊達公の湯浴御殿の湯守職を経て現在に至っている

安政2年(西暦1855年)には、源泉が一時的に止絶するなどの試練を乗り越えて、受け継がれる想い

「心の原点に触れるおもてなしの心」

伝承千年の宿 佐勘

これからも、古き良きものを未来永劫残し、変化する要望を敏感にとらえ実現し、伝統を格式を受け継いでいただきたいものです

目指せ100年企業!第十二回「株式会社ホテル佐勘」

http://www.sakan-net.co.jp/

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創業:西暦1160年、最古の茶商「株式会社通圓」

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第十二回「株式会社通圓」創業:末永暦元年(西暦1160年)

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源頼政の家臣、古川右内という武士が、晩年隠居をし「太敬庵通圓政久」と名乗り、宇治橋東詰に庵を結んだのが末永暦元年(西暦1160年)

初代通圓の誕生、そしてその長い歴史の始まりとなります。

治承4年(西暦1180年)に平氏討伐を決意した以仁王とともに挙兵を試みた源頼政は、準備が整わないうちに平氏方に計画が漏れ、

平等院に籠って抵抗するも多勢に無勢で、以仁王は逃したもの自身は辞世の句を残し自害した。

初代通圓も頼政とともに平氏と戦い、討ち死にを遂げており、平等院の庭に今現在も二人の墓は静かに眠っている。

その後子孫代々、「通圓」の姓を名乗り宇治橋の橋守として、道往く人々に橋の長久祈願と旅人の無病息災を願い、茶でもてなしている。

七代目通圓は、一休和尚と親交が深く、参禅して隠者となり、共にとんちを持って肝胆相照らす仲だったと伝えられており、店内には、一休和尚作「初代通圓」の木像が祀られている。

その後も、足利義政、豊臣秀吉などの武将にも仕え、新しくは伊藤博文や美空ひばりが訪れるなど、時代に名を馳せた偉人に茶を出し橋を守り続けている。

橋守りであり、お茶の文化と伝統守りでもある通圓の茶、歴史を振り返りながら嗜んでみてはいかがだろうか?

目指せ100年企業!第十二回「株式会社通圓」

http://www.tsuentea.com/

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創業:西暦1141年、最古の蔵元「須藤本家株式会社」

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第十一回「須藤本家株式会社」創業:永治元年(西暦1141年)

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永治元年(西暦1141年)には酒造りに携わっていたことが文献により確認されており

平安時代中期から850年以上の歴史をもつ、日本最古の蔵元、それが須藤家(現:須藤本家株式会社)だ

元々武家であったが、凶作で困窮した地元農民に代わり年貢米を納めた経緯した経緯から、自然環境に左右されにくく保存が可能な酒造りを始めたとされている

代々伝わる家訓「酒・米・土・水・木」の意味は

 

良い酒は良い米から、

良い米は良い土から、

良い土は良い水から、

良い水は良い木から、

良い木は蔵を守り酒を守る

 

となっており、まさに自然の連鎖を見事に反映している。

この中でも最重要視されているのが、門外不出一子相伝の伝承古法仕込である

現在でも枯れることなく豊かな伏流水が湧く敷地内の井戸

生い茂る欅に守られるこの井戸から汲みあげる良質の仕込水は、伝承古法仕込の要となっている

自然の力を享受し代々に渡り受け継がれた伝統の酒造り

日本だけでなく世界中で愉しまれている須藤本家株式会社の酒造り

55代目当主となる須藤悦康さんの挑戦から目が離せません

目指せ100年企業!第十一回「須藤本家株式会社」

http://www.sudohonke.co.jp/

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  • 2013年5月17日
  • By LRI-Magazine
  • 創業:西暦1134年、慈覚大師の湯「株式会社夏油温泉」 はコメントを受け付けていません
  • in 企業理念研究所

創業:西暦1134年、慈覚大師の湯「株式会社夏油温泉」

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第十回「株式会社夏油温泉」創業:長承3年(西暦1134年)

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雪深いみちのくの山奥に七つの湯が湧き出る秘湯、それが「夏油温泉」です。

古くは、平安時代前期の第55代天皇、文徳天皇が在位する斉衡3年(西暦856年)に遡り慈覚大師が発見したとする説

長承3年(西暦1134年)に、平家の落人の末裔、マタギの高橋四郎左ェ門が、傷ついた白猿を追ったところ、大湯でいやしている姿を見て発見したとする、白猿発見伝説

の二つが開湯説として残っている。

歌舞伎の「茨木」で知られる、源頼光の四天王の一人渡辺綱が鬼の片腕を切り落としたが、鬼は夏油の湯で片腕を元に戻した物語。鬼つまり外道と結びつる説

アイヌ語の「グット・オ」(崖のあるところ)から、冬は豪雪のため入山できないことから「夏湯」と言われ、湯が日差しで揺ら揺らと油のように見えたことで、「湯」が「油」になった説

の二つが名前の由来として残っている。

いずれの説にも、他の古湯と同じく湯治場として、その地に根付き今日まで長きに渡りその歴史を受け継いでいることに違いはない。

また大きな特徴として、いたる所から温泉が噴出しているだけでなく、源泉ごとに泉質が異なっている。

この元湯にも七つの源泉が湧出ているが、各々が異なった泉質となっていることもあり江戸時代の温泉番付では「東の大関」ともされている。

古代信仰の霊場を彷彿させる複数の湯治場

そしてこの湯治場を代々に渡り守り続け

自然とともに共存する元湯の癒しに包まれたい衝動に駆られずにはおれません。

1941年2月28日に指定された天然記念物(現:特別天然記念物)となる夏油温泉の石灰華

目指せ100年企業!第十回「株式会社夏油温泉」

http://mizuki.sakura.ne.jp/~geto/

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