創業:西暦1466年、太閤秀吉公の命名「株式会社兵衛旅館」
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第四十二回「株式会社兵衛旅館」創業:文正元年(西暦1466年)
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文正元年(西暦1466年)、室町時代の文献「陰涼軒目録」に、「二の湯兵衛」「谷の兵衛」とあり記されていることから、それ以前に創業していたとされる兵衛
文禄3年(西暦1594年)、豊公時代の文献「湯山由緒記」によると12坊が誕生した際に「北の坊」と名乗ったものの
人々が「兵衛、兵衛」と呼ぶことから再び、「兵衛」と公称するようになり、それ以来他の呼び名に変えることなく、数百年の間続いている
また、口伝では有馬温泉をこよなく愛した豊臣秀吉公がにより「兵衛」と名付けられたとされてもいる
寛政10年(西暦1798年)、「摂津名所図会」には、内湯がなかった時代、二の湯に属する兵衛は、宿の幕を張りめぐらし入浴したと記されている
文政10年(西暦1827年)、「下女の案内ではしごを登り二階へ行き、又三階へはしごにて行く、いずれも有馬は三階まで下駄草履を履きながら土足にて行く、すべて板間なり。しかも三階に雪隠小便所も有りて庭の如し」
と、江戸時代から有馬温泉の殆どの宿が三階建てであったことが記されており、訪れる旅人を驚かせた様子が伺える
昭和2年(西暦1927年)、「朝日に向かって燦々と輝いていく」という意味をこめて「向陽閣」と名付けた別館を現在の位置に建築した後、本館を閉鎖に現在に至っている
御所坊は名前の通り天皇家の宿舎と言う意味、 兵衛は御所坊に並ぶ宿であったということから、天皇が行幸の際の供奉役「兵衛府」の宿舎だったと考えられている
太閤秀吉公からその名を授かり、「一の湯」「二の湯」「三の湯」と異なる趣きを味わえる日本最古といわれる有馬の名湯「金泉」
古くから湯治場として多くの人々を癒した兵衛には、長い歴史に積み重ねられた「伝統とおもてなしの心」が育まれている
このような兵衛向陽閣を運営する株式会社兵衛は、企業理念に下記を掲げている
一、お客様に感動を与える旅館
一、夢と誇りを持って働ける会社
一、勝ち残るための強い体質づくり
訪れる人々に心からくつろげる空間と癒しをこれからも提供して頂きたい、そう願う次第である
目指せ100年企業!第四十二回「株式会社兵衛旅館」
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